『ねぇ・・・もうダメなんだって』
おじいさんの看病をする、おばあさんが言った。
強気に笑顔の反面、目には涙を浮かべていた。
部屋に響く人工呼吸器の音が、よけいに沈黙を際立たせているように感じた。
『だから、あなたももう来なくなるんでしょ?』
おばあさんの問いに、また人工呼吸器の音が繰り返される。
僕は、理学療法士・・・
生命に関わる職業なのだが、それはどちらかというと・・・直接的ではない。
おばあさんの逆説的な要求に息をのんで、言葉が出なかった。
出たとしても、それはおばあさんの慰みにはならなかったろう。
『しかたがないのよ。この人が自分で・・・』
そういっておじいさんを看ながら言葉を詰まらせたおばあさんは、どうにか自分で納得しようとしているようだった。
「看護」という言葉の語源は「ウパスターナ」・・・その意味は
『傍らに立つ』
だったか・・・。
おばあさんが涙を浮かべること、僕が病室にいること、人工呼吸器による管理、医師の治療、看護師のケア・・・
それぞれが並列に
看る
護る
僕達は、おじいさんの傍らに立てているのだろうか?
おばあさんの傍らに立てているのだろうか?
『ねぇ・・・もうダメなんだって』
『だから、あなたももう来なくなるんでしょ?』
この問いかけに、人工呼吸器と同様の機械的な答え、あるいは沈黙しか返せないようでは・・・
まだまだ医療人にはほど遠いな・・・。
「どうして私ががんに…」と苦悶する人に科学は答を出せない。問われているのは、医療者の人間的成熟の問題なのだ。私たち日本人の意識にしみついている仏教思想を掘り起こし、その豊かな教えを、「病者の傍らに立つ者」としての看護者のあり方に活かそうという提唱は、著者の学びと実践の道程から産み出されたものであるだけに、説得力がある。
仏教の智慧を看護に活かした『仏教看護論』の実践書。看護の現場で出会う事例上の“いのち”をめぐる問題、疑問に対し、仏教看護の視点からどのようなかかわりや対応が可能であるのか。生老病死の苦しみや悲しみを抱えた具体的な事例とのかかわりを提示しつつ、人間のいのちへ寄り添う看護の実際について考える。
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いや。
いんじゃないですか。
それは機械的なのではなく、
迷いなのだとわたしは思うけれど。
>ひらかなさん
こんにちは
ありがとうございます。
マニュアル化できないことってありますよね。
そこに至る過程や、その場の空気や
医療現場のリアリズムです。
なるほど、「迷い」ですね。
ただ、黙ってみているしかないこともある
人はいつか必ず死んでいくわけで、医者や病院が命を助けているなんていうのはただの自惚れなのです。
何かができるわけでもないし、何かをしなければならないわけでもないし、ただ黙ってその場にいて見ているしかないこともあります。そこにいる以外なにもできなかったことはこれまでに何度もあったなあ・・・
>某Drさん
こんにちは、いらっしゃいませ!
そうですね。
お医者さんはよけいにそういう立場でしょうね。
「そこにいるだけ」も重要な意味がありますよね。
でも後で、
「あれで、よかったんかな~」
なんて悩んでしまうのです。
(;_;)