「てやんでぇ~」
って口調の50代の患者さんがいた。
・・・もうだいぶん前のこと。
(療養型の病院に勤めていたときのことだ)
彼は半身麻痺になり、僕のいる病院に転院してこられた。
起き上がる・立つ・歩くが困難で、まだまだリハビリが必用な状態。
病気になられる前は、料理人をされていたらしい。
それだけに、彼のベランメェ調はとてもよく似合っていたし、「これぞ職人さん!」という感じのさっぱりした人だった。
リハビリを重ね、起き上がりや立ち上がりが可能になり、車椅子もなんとか操作できるようになった。
これは彼にとっては、かなりの進展!
「いやぁ~嬉しかったね!コレでどこにでも行けると思ったね!」
患者さんは、(当然なのだが)起き上がる能力、座る能力、車椅子に移る能力、車椅子を操作する能力がなければ、自由にすきなところに行くことが出来ない。
だから、車椅子を操作できる能力は彼にとって格別だったに違いない!
僕も彼一緒に喜んだ!
だが、こう続けられた。
「それを、たまたま通りかかった医者が、『姿勢が悪い』とかなんとか言いやがって!」
お医者さんの言った事は正しい。
たしかに、不良姿勢は正すべきだ。
だが、アドバイスのタイミングが悪かった。
よかれと思った医療者の言葉も、時には患者さんの意欲を削ぐことがある。
僕自身、通りがかりの患者さんについて、いろいろと気がつくことがある。
専門的に勉強したセラピストならば、当然だろう。
姿勢がどうとか、動作がどうとか、筋肉がどうとか・・・
でも経緯を考えてアプローチやアドバイスしなければいけないな・・・
個別のアプローチと言うのだろうか。
さて
ベランメェ調の彼は、車椅子を使用しつつも杖で歩けるようになった。
一生懸命に歩く姿までが、ベランメェという感じだったのが印象的だった。
それから・・・
僕は職場を変わった。急性期病院に移った。
しばらくして
どのような御縁か、彼は僕の居る病院に運び込まれた。
しかし、もうベランメェどころではなくって、人工呼吸器をして目は開かない。
リハビリの処方も出る余裕のないほどに、体の状態は悪かった。
僕の声が届くかわからないけど、職場だったのでお見舞いには最適だった。
彼には身寄りがなく、お見舞いなんて僕しかいなかった・・・
彼の部屋に座って声をかける
「ねぇ・・・なんか言いたいコトある?」
声をかけても、人工呼吸器の機械的な音が反復するだけだった。
・・・
それからしばらくして、彼の死を知った。
知らされたのではなくって、きれいに方付いたベッドを見て知った。
なんか、親しいだけに機械的な死が無性に辛かった。
いまでも、病院には彼の使っていた車椅子が残っている。
「寄付」なのだろうか、持ち主不在になり病院に残されたのかわからないけど・・・
その水色の車椅子を見るたびに
彼のベランメェを思い出す。
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Unknown
おじさんは幸せでしたね。KAZZさんに出会えて。きっと、貴方の声は、届きましたよ。私の伯母は、1年前から、ずっと、眠ったままです。お見舞いに行っても、なにも答えてはくれません。可愛いつやつやの顔をして眠っていますが、声をかけ、髪を撫でたりしていると、少しだけ眼をあけてくれます。脳の半分以上が死滅していますが、きっと、なにかを感じてくれると信じて声をかけ続けています。だから、今年も年賀状を書いて送りますよ。
>cyamaさん
「反応がある/ない」てことと「わかる/わからない(感じる/感じない)」って別ですよね。
声かけや触れることって大切なことだと思っています。
年賀状・・・まだ、誰にも書いていません・・・
(いそがねば!!)