(↓本日のグラディエーターさんのコメントより)
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Kazzさんの思いを読むたびに新鮮な気持ちにさせられ嬉しく思います。ただ、物事には、違った側面から見るとまるで違った印象をもつことがしばしばあります。同じものなのに・・・不思議なものですねぇ。
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グラディエーターさんこんにちは!
訪問ありがとうございます!
批判ではなくて,僕のひねくれた一面を紹介します
違った側面からみたものは,やはり違っているのだと思うのです.
ただ,違うものをみても「同じ」と思うように仕組まれているような気がします.
体験者,観測者,環境,時間,文脈・・・
それらを考慮すると,物事は「同じ」と思うように仕組まれた「違うもの」の気がします.
仏典はこう始まります.
「如是我聞(ニョゼガモン)・・・」
これは「是の如く我聞けり(カクノゴトクワレキケリ)」・・・つまり,「私はこう聞いたんだ」ということです.
僕が仏教を好きな理由がここにあります.
「私はこう聞いた」と,主体が「私」にあるということ・・・.
これがキリスト教・・・つまり聖書になるとこう始まります.
「主いわく・・・」
主体は「主」です.
物事をとらえることというが,どういう事か・・・を考えると,今の僕は,主体を「私」に置きたいと思っています.
物事の真実は何処かにあるにせよ,「私」がいま遭遇している世界こそ物事の一部だと感じることが,「私」にとっての物事です.
鳥瞰図的な見方は不器用だからできない・・・それは神様とか仏様が把握しておられるので十分です(あと鳥もか・・・).
自分の外に気を置けない僕は,
I think, therefore I am.
(我想う,故に我あり:ルネ・デカルト「方法序説」)
「私」がここにあるという是が出発点になります.
なので,グラディエーターさんには
「不思議なものですねぇ。」
が,僕には
「当然ですよねぇ」
になってしまいます・・・
これこそ,
「違った側面から見るとまるで違った印象をもつことがしばしばあります。」
ですね!
今回はコメントありがとうございました!
いろいろ考えるいい機会になりました!
またいろいろ書いていきますので,ご訪問&コメントよろしくお願いします!
※コメントの返答を書いたら,長くなりすぎたので今日の記事にしました!
(失礼しました