2日間の休みが明けて,仕事場へ行くと・・・
デスクの上に,郵便物.
開けてみると,写真集
■特攻花(とっこうばな)
だった.
以前,テレビの特集で紹介されていたものだ.
戦後59年が経ったらしい
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特攻出撃する若い隊員たちに,娘たちは,野の花を贈った・・・
彼らはその花をそっと滑走路に置き飛び立った・・・
その花の種が風に舞い・・・60年経った今も毎年花を咲かす
この花を島の人たちは特攻花と呼び大切に・・・
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鹿児島と沖縄の中間にある喜界島(きかいじま)には,特攻隊基地が多くあったという.
喜界島にはいまもなお「特攻花」と呼ばれる花が咲いていると言う.
19歳の時から5年間この花を撮り続けているのが
■仲田千穂さん
だ.
彼女の写真集「特攻花」は今年7月15日は発行された.
テレビの中でも紹介されていたが,写真の特攻花はかわいらしく,ときに清々しさまで受け取れるのだが,特攻隊の歴史とともにみると哀しさ/潔さといった面も持ち合わせているように感じる.
写真集には,特攻花の写真,生き残った元特攻隊員,メッセージが添えられている.
また,初版には「特攻花の種」が付録されている.
写真集とともに同封されていたのが,仲田千穂さんからのメッセージだ.
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「特攻花」写真集
お買い上げありがとうございました
特攻花は,まだこれからも挑戦して行こうと思っております.
このお話,写真が皆様のもとへ御毒ことを心よりうれしく思います.
平和を願う花・特攻花が皆様の心へと芽が生えますように
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神風特攻隊の祖父
はじめまして。
僕の祖父も神風特別攻撃隊だったと幼少の頃より祖母からよく話を聞いていました。
1969年生まれの僕には、その時の悲惨な状況は全く想像もつきませんが、終戦直後の飲まず食わずの生活も祖母の話でよく話の中に出ていました。
母方の実家は江東区深川にあり、僕が小学校低学年まで銭湯を営んでいた、そしてこの深川地域はまさに60数年前、東京大空襲により下町全体が火の海と化した場所であったようです。
今では近くに高層ビルが立ち並び、その時の悲惨さを伝えるような面影すらありません。
話を聞いた当時はただ驚きだけでありましたが、今改めて考えるといわゆる特攻は作戦だったのか・・・非常に疑問だらけです。
ただ、僕達に出来る事は60数年前にこの日本で戦争があり数々の悲惨な事が実際に起こっていた事実を受け止め後世に伝えていくことだと思います。
戦争の経験も実情も特攻も戦争について何もわからない僕でも出来る事だと思っております。
世界人類が平和でありますように・・・
皆様の御健闘と御活躍を心より願っております。
失礼致します。
>菊井さん
こんにちは!
訪問&コメントありがとうございます!
体験を語る人たちもどんどん少なくなっているんですよね・・・
どうにか継承していく必要があると思います。
そして、この平和ボケにさせられたなかでも、感心を持っていけるようなシステムも必用かもしれませんね。
サイト観させていただきました。
僕もまたいろいろ調べてみたいと思います!