本を読んでたら、『自己奉仕バイアス(Self-serving Bias)』の説明があった。
面白い説明だったのでスライドにした。
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人がやらないのは怠慢だから
自分がやらないのは忙しいから
人が出世したのは運がよかったから
自分が出世したのは頑張ったから
人が時間をかけるのは要領が悪いから
自分が時間をかけるのは丹念だから
人が上司に受けがいいのはおべっか使いだから
自分が上司に受けがいいのは協力的だから
人が仕事ができないのは才能がないから
自分が仕事ができないのは上司がアホだから
人がテストに失敗したのは努力不足だから
自分がテストに失敗したのは問題が難しかったから
人が言われていないことをやるのはでしゃばりだから
自分が言われていないことをやるのは積極的だから
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世の中には様々なバイアスが存在する。
バイアスとは「偏り」のことで、バイアスは思い込みや思想についても存在する。
『色眼鏡(いろめがね)』と言ってもいいかもしれない。
僕は、「バイアス」という語よりも「色眼鏡」の方が好きだったりする。
ちょっと皮肉っているから。
もちろん「彼は色眼鏡をかけている」という色眼鏡も存在するので注意が必要だ。
議論を進める上で、相手の色眼鏡を観察すると面白い。
人にはそれぞれの価値観がある。今まで生きてきた経験によって様々な色眼鏡があると思う。
人間だもの(みつお)
相手がどんな色眼鏡をかけているかを観察することは、その人のいままで培ってきた人生を探ることにもなると思う。
そんなバイアスや色眼鏡がない状態が「オープンマインド(Open-minded)」と言える。
しかし、
思想にバイアスのない人や、色眼鏡が無職の人、真にオープンマインドの人なんてのは存在しないと思う。
それは、無の状態に近いのではとも思う。
さて、上に挙げた「自己奉仕バイアス」だけども
自己奉仕の他側面には「他罰的(たばつてき)傾向」があると思う。
自分の努力を認めることは悪いことではない。
けども、それを単純に自助努力の結果と思うのは謙虚さが足りないと思う。
また、自分の努力を他人にも同様に求めて、その不足を他人の欠点として追求するのは、お互いに成長に繋がらないことだと思う。
他罰傾向は僕にもあって、一昔前はムシャクシャすることもあったけども
よくよく観察すると、人はそれぞれ人なりに努力をしている。
他罰的だった自分を恥じるけども、それも今の自分を形作っていると思うと、愛おしくも思う。
また、他罰的であることを反省しすぎて、無関心・無干渉になるのも良くないと思う。
何ごとも程よくだ。