宮沢賢治の詩『永訣の朝』(えいけつのあさ)をフと思い出した。
寒くなってきたからだろうか。
宮沢賢治の詩の中でも特に印象深いのもののひとつ。
この詩の中で心に響く気に入ったキーワードがある。
■まがったてっぽうだま
■雪のひとわん
■この雪はどこをえらぼうにも あんまりどこもまっしろなのだ
■Ora Ora de shitori egumo
■けなげな いもうと
■あめゆじゅとてちてけんじゃ
■さいごのたべもの
■わたくしのすべてのさいわひをかけてねがふ
宮沢賢治の願う『すべてのさいわい』
『幸い(さいわい)』てなんだろうと、いつも思う。
で、この『さいわい』を考えると思い出すのが、『銀河鉄道の夜』でのジョバンニとカムパネルラの静かな静かなやりとり。
『カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。』
『うん。僕だってそうだ。』
『けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。』
『僕わからない。』
『僕たちしっかりやろうねえ。』
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そうそう、『永訣の朝』なんだけども、YouTubeでも、いろんな人の朗読が挙げられている。
どれも素晴らしいのだけども、僕にとっての声とか読み方はもっと違うイメージ。
声は、両性的な、あえて言うなら10代の女性。
透き通った寂しい声で、静かに、感情を込めすぎずに。
という感じ。
簡単に言えば、綾波レイだな(爆)!
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『永訣の朝』/宮沢賢治
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
うすあかくいっそう陰惨な雲から
みぞれはぴちょぴちょふってくる
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
( あめゆじゅとてちてけんじゃ )
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを
ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまう
( Ora Ora de shitori egumo )ほんとうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁよにうまれでくる
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率(とそつ)の天の食に変って
やがておまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわひをかけてねがふ