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骨模型

Facebookの書き込みで、骨模型が欲しいというのがあった。

医療に携わる理学療法士として、なじみの深いアイテムである。

理学療法士になるべく専門学校に通っていた頃は、しばしば骨模型に接する機会があった。
また、勉強会などで触れる機会もしばしばある。

兄が、社会人から理学療法士の専門学校に通うになったときも、よき先輩として、そしてよき弟として骨模型をプレゼントした。
・・・と言いたいところだが、骨模型のペーパークラフトをプレゼントした。
(骨模型はかなり高価なものなのだ)

ボーニー

ボーニー 人体骨格模型(ペーパークラフト・ブック)
クリエーター情報なし
西村書店

あれからどれくらい経ったか知らないけども、いまだにその完成品を目にしていない。

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病院の理学療法室のあるところにも、骨模型は並べられている。
業者さんが提供してくれた部分的な骨模型もあるし、全身のものもある。

こういった骨模型を見て、学生の頃はなんとも思わなかった。強いて言えば、学習のためのアイテムという感覚だ。
むしろ、働くようになってからは、「避けたいもの」の一つになってきた。

骨模型は、美を備えている、と思う。
それは、骨模型だからではなくて、それが美しい人間の骨格を模したものであるから当然であろうと思う。

が、避けたい理由の一つは
そこに「生」を感じてしまうようになってしまったからだ。

たとえ、模型だとしても、それはもともとホンモノの骨を元にしてつくられているだろう。

その骨は、ある方の死後、その”お骨”を利用させていただいているのだ・・・と感じてしまう。
その方は、生前どうすごされていたのだろうか?
ご病気で亡くなられたのだろうか?

自分の骨を骨模型の原型として利用してよいと契約されたのだろうか?
そもそも、そんな契約などあるのだろうか?

などと考えてしまう。
大げさかもしれないが・・・

あるいは、骨模型が、”一般的な人体の骨”というものを模して作られたのかもしれない。
そういった場合には、個の介入はなくて済むのかもしれないが・・・。

ただ、骨模型のリアリティに触れる度に、そこに個を、それもその個の生前を感じてしまう。
イラストや簡易模型のものから感じられない、何とも言えない感情がわいてくる。

時には、すべての骨模型に魂が宿っているんじゃないかと感じる時もある。

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ネットでは、学生が研究者や教師が、骨模型にシニカルなポーズをとらせたりしているものがある。
サンタクロースの帽子をかぶせたり、煙草をくわえさせたりなんてのもある。

「失礼ではないないのか?」と感じてしまうこともある。
いや、違うな、怒っているわけではない・・・。
しかし、何かが穢されているような気がしてしまうのだ。

そこに、もしかしたら、並々ならぬ意思が存在しているかもしれない。
その元となった骨を提供してくれている方の。

が、そもそも割り切って考えるべきなのだと思う。そうだろう。
その骨の元になった方の説明なんてされないし、そういうものはないのかもしれないし、あったとしても知らないほうがよいのかもしれない。

・・・

いや、しかし、イラストだとかオモチャだとかとは違う感覚で見てしまうのは確かだ・・・

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兄のペーパークラフトが”もし”完成していたら、そこにも魂が宿っていたのだろうか?

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参考

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足川 和隆 理学療法士18年生! 毎日、始発で出勤、最終で帰宅の米子~松江の通勤をしています!

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