Categories: 理学療法/病院

履物ヲ揃ヘルコト

新人さんたち後輩君達に折を見計らって、『履物をそろえなさい』と指導している。

リハビリ室には治療マットがある。

大人二人が並んで寝ることができるような大きなマットだ。

そのマットに患者さんとセラピストが上がって治療にあたる場面が多い。
患者さんは仰向けに寝て、セラピストが患者さんの足を動かす、といった具合だ。

僕達セラピストは日に何度もマットに上がったり降りたりする。
履物の着脱はその都度にすることになる。

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そんな環境の中
最近、『散らかった履物』といいうのが目について仕方がなくなってきた。

まるで家の裏口から屋内に飛び込んだような履物の散らかりよう。
専門家ならば・・・というわけではないが、専門家ならばなおさら礼儀正しく、奇麗簡潔にしておくべきだと思う。

かかとをそろえて、マット側にかかとを向けて揃えるべきだと僕は考えている。

患者さんは履物を揃えられていることが多い(もちろん、身体機能的にご自分でそういう行為ができる方だが)。
僕達スタッフの散らかった履物をみて、げんなりしておられるのではないかと、考えてしまう。

僕のおばあさんも、履物が散らかっているのを見るとと両手をねじらせて広げて、その履物がバラバラということを表現する。
そして、あからさまに憎たらしい顔をして

「さんぢらかしっ!」

というのが決まり文句だ。
職場で説明したが通じなかったのだけど、方言だろうか?

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患者さんとセラピストはマットの上に上がっている。

患者さんの履物は揃えられている。
二つ奇麗に並べて、かかとはマットに側に。

ところが、セラピストの履物はどうかというと、つま先がマット側に向いている。
時には揃えられもせずバラバラになっていたりする。

履物を揃えられない人間は多い。
見るたびにかわいそうだと思う。

こういうのは身に付いているかそうでないかの差だと思う。
身に付いていない人は、早々に身につけておくべきことだと思う。

少しだけ意識すれば行えることだし、習慣化されている人は、散らかった履物を見るだけで「揃えなければ」という意識が働くものである。

おばあさんからは「人のもそろえなさい」と教わっている。
散らかった履物を見たら、他人様のでも手をかけてそろえておきなさいというのだ。

可能な範囲で実行するようにしている。

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患者さんがおっしゃってた。

履物を揃えなさい。
玄関を掃除して奇麗にしておきなさい。
玄関は家の顔だからな。

と・・・。

確かにそうだと思う。

治療マットは玄関ではないのだけども、その人のアプローチを見るにあたって、丁寧さや配慮、真心を見ることができる気がする。
もちろん、履物だけで判断するわけではないのだけども、それが結構な影響を持っているのだと思う。

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個人的には、履物を揃えるという「行為」自体も好きだ。
美しい。

履物を脱いで上がる前に、後ろを振り返る、そして履物に手をかけるという行為は、何とも美しいものだと思う。

女性ならばなおさらだ。

逆に、女性が履物を散らかしている場合は、なんとも「みっともない」。

余計なお世話と言われるかもしれないが、躾けられていないんだなと感じる。
親が知ったらば、さぞかし恥ずかしかろう。

あるいは、もはやそういうことに何とも思わない世代になっているのかもしれない。

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僕の指導をうけて、新人さんも靴をそろえてくれるようになった。

本来的には恥ずかしいことだと思う。指導される側ではなくて指導する側も。

躊躇する。
というか、小恥ずかしい。

「靴をそろえなさい」というのは、「トイレの後はお尻を拭くんだよ」というようなものだ。
「そんなの分かっています。あんたはバカか」と言われそうな気がしてならないのだ。

しかし、できていないものは指摘せざるを得ないし、指摘すればできるようになるものだ。
一度指導しておけば、その後も何かと話題にしやすくなる。

揃えられた靴というのはやはりいいもんだ。

当たり前のことといえばその通りだが、今までが散らかっていた分、それが揃えられているのを見ると、何とも気品に満ちて見えてしまう。

逆に、マット上でどんなに素晴らしいアプローチが展開されていたとしても、その下にある履物が散らかっていたとしたら、ぜんぶ台無しになってしまうのではないかという感さえ生じてくる。

まだまだ、リハビリスタッフの中でも、靴を揃えることができるのは少人数だ。恥ずかしながら。

観察してみるとよくわかる。

必ず散らかしている人。
揃えるけども、つま先が上がる方を向いているひと。

彼らは、故意に散らかしたいわけではないと思う。
そこに配慮が向かわない結果として、そうなっているのに違いない。

少しずつ少しずつ、履物の揃えられるスタッフが増えてくるといいと思う。

そうすれば、職場全体として、それっていない履物に対する違和感を感じるようになるだろう。

やはり、キチリとしておくべきだろうと思う。

そして
願わくば、彼らが将来彼らの子ども達にそう教えてくれることを祈りたい。

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ちなみに、僕のデスクは、たいがい大変なことになっていることを付記しておく。

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参考

KAZZ BLOG「整理整頓後片付け」(2011年06月22日)

kazz_ash

足川 和隆 理学療法士18年生! 毎日、始発で出勤、最終で帰宅の米子~松江の通勤をしています!

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