kazz先生!
と呼び止めてくれたのは、とある病棟の看護師さん。
電子カルテの画面に向かいながら、助けを求めていた。
ある患者さんの症状について、どう表記したら良いのかを聞きたいらしかった。
2~3の質問に答えた後、こう言ってきた。
「あの起き上がったりするのはなんて言うんですか?」
素直な質問だ。
患者さんは、看護師さんの意にそぐわずに、ベッドから這い出ようとする傾向に在り、ベッド転落の可能性の高い、要注意患者さんだった。
『あれはね・・・"正常”というのだよ』
と教えてあげた。
患者さんは転落の危険性が高いということで、ベッドに柵が張り巡らされていた。
そうしたら、そのベッド柵に足をぶつけて出血をするので、ベッド柵にビニール板が取り付けてあり、柵で足を傷つけないように配慮されていた。
次に、そのベッド柵を乗り越える可能性があるということで、ベッドの横には、転倒した時用の衝撃緩衝用のマットが敷いてある・・・
しかし
病気であるかないかは関係く、こんな環境では誰だってそソワソワすると思う。
視界を遮るようなものがベッド周囲に張り巡らされていて、その中で寝ろと言われてもね・・・
看護師さんはかわいらしく反論してきた。
「でも、あの状況(ベッドから這い出ようとしている姿)をみたら、どの看護師も"異常"って言いますよ。」
それもそうかもしれない。
「せん妄」とかいう状態に似ているのかも知れない。
『それはね、看護師さんが"異常"なんだよ。試しに、あのベッドで寝てごらん。20分ももたないと思うよ。』
ベッド柵は、よかれと思って付けられたものだろうか
ベッド柵に付けられたビニール板も、よかれと思って付けられたものだろうか
では、この次になにがくるか教えてあげよう。
ベッド柵を乗り越えるから、両手をベッド柵に縛り付ける”抑制”
それでも暴れるから、薬で黙らせる"鎮静"
こういった道筋がみえてくる。
これは良いことか?安全か?
最善だろうか?
寝とけといわれるから、起きたくなる。
柵で囲われるから出たくなる。
視覚を遮られるから乗り越えたくなる。
縛るから抜け出したくなる。
・・・
こう言ったことを「悪循環」と言うのだろう。
目の前に見える「安全」は確保したつもりでも、全くの逆効果になる。
スタッフがしていることは、「安全の確保」と言う名の「責任逃れ」であり、「目の前の危険の保留」でしかない。
悪魔に借りをつくっているようなもので、最終的には魂を抜かれる。
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目が覚めると、四方を壁に囲まれていた。
それは乗り越えられそうな高さのものだった。
・・・僕はそれを乗り越えてみようと思った。
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これを異常と判断しているということだ。
『むしろ、乗り越えない方が異常かもしれないだろう。』
かといって、ヤミクモに柵を外し、患者さんを「転落」といった危険な目に遭わせてもいけない。
ただ
スタッフ皆が、「この柵は外すべきだ。いま、止むなく取り付けているにすぎない」という思考でもって、出来る限りのことを考えれば、出来ることはたくさんあると思う。
少なくとも
患者さんの笑顔は、ベッド柵で囲んだり、手足を縛ったり、薬付けにすることでは得られないのは確かではないか?
看護師とは、話だけでは終わらないようにした。
言うだけではだめだ。
理念だけではなくて、行動を伴わなければならない。
行動には「覚悟」が必要となる。
看護師だけに責任を負わせてもいけない。
もちろん、望まない結果を医師になすり付けてもいけない。
チームで意見を一にして取り組まなければならないことがここにある。
看護師さんとは、この患者さんの環境設定や、複数職員を利用した柵を外せる方法、カンファレンスの開催予定・・・
そういったことに取り組んだ。
一つ言い忘れたことがあった。
『僕、この患者さんの担当セラピストでありませんが、何か?』