以前、●さんという方から戴いた質問に答えさせていただきます。
PTについて批判的です。
不快だと思われた方は、その時点で読むのを辞めてみることを提案します。
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>●さん
コメント有り難うございます。
ならびに
大変良い質問ありがとうございます。
さて、PT(理学療法士)に未来があるか?
という質問に応えさせてもらいます。
率直に言えば、
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未来はありません。
あったとしても、薄暗い未来です。
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さて、さきに答えを返させていただいたところで、次に言い訳をさせてもらいます。
一つ
僕は自分の仕事「理学療法」について誇りを持っています。
が、それだからこそ、この「理学療法士」の団体としての不健全さ、体たらく、大量低品質の状況に失望しているのです。
もう一つ
「PTの未来」ということについては、単純に語れないことがあります。
どのような側面から理学療法を見るのかというところがあるからです。
社会的にみるのか・・・
個人を見るのか、団体としてみるのか・・・
医療における技術の一つとしてみるのか、どうか・・・
もちろん、全ての側面から見て「未来がない」わけではありません。
個々の存在価値は小さくとも、ゴキブリの様に末永く、どのような環境でも生き続けて行く・・・
という意味においては、未来があるかもしれません。
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技術について申し上げます。
世の中には、リハビリテーションは必要だと思います。
というか、不可欠だと思っています。
社会はリハビリテーションという概念を既に内包していると思います。
ただし、その場にPTが不可欠かというと、必ずしもそうではないと思います。
介護員さん、柔道整復師、鍼灸師、看護師、地域住民・・・
今の理学療法士の仕事ぶりを見ると
別の方たちでも肩代わりできると思っています。
例えば、薬剤師の仕事は他の職種では肩代わりできません。
だけども、リハビリテーションにおける理学療法士の仕事(仕事ぶり)は、だれかでも肩代わりできちゃうんじゃないかな?と思ったりする訳です。
「理学療法士でないと絶対無理」という状況ではないと思います。
むしろ、理学療法士が邪魔になっている例も少なからずあると思います。
ここの根底に、理学療法士の不健全さ、体たらく、大量低品質が横たわっていると思います。
現場からハッキリと言わせてもらえば、役に立つ理学療法士(つまり未来を託せる理学療法士)は、ごく一握りだという印象を僕は持っています。
まず、教育の場から腐っています。
日々努力を重ねている教員さんには申し訳ありませんが、彼等は専門性、科学性、哲学からかけ離れています。
『理学療法士という品格をもった人間を育てる』
のではなく、
『理学療法士という国家資格を持った人間を作る』
ということに終始してしまっているんじゃないでしょうか。
教育現場を体験していない一理学療法士からの妄言ですが
どうでしょう?
挨拶できない、遅刻する、無断欠席する、謝ることができない、努力しない、課題は与えられなければしない、患者さんの苦労に共感するより自分が疲れていることの方を強調する、理学療法が何かわからない、給料がほしいけどなるべく仕事したくない、本を読めない、日本語を使う努力をしない・・・
けども!
結局は国家資格を得るワケです。
国家資格の合格率の少ない学校に人は入学しません。
定員割れになります。
だから、学校の先生はこぞって、国家資格を取らせようとします。
有資格者を増やす・・・
これが、理学療法の発展でしょうか?
学校は、学科や実習や人間性の育成よりも、国家資格合格、就職率を第一義的に考えているように、「思えます」。
ネガティブなことを書き連ねましたが、僕はもちろんこうでないことを願っています。
先ほども書きましたが
PTなどは他の方達が肩代わりできない部分を「専門性」と言い張って持っているのですが、この「専門性」存在するのか・・・そして、存在したとしても、果たして社会の役に立っているかどうかは不明確だと思います。
関節の動かし方の専門性、筋肉の働きをみる専門性、動作をみる専門性、物理的刺激における専門性、生理学や脳科学などを臨床応用する専門性・・・様々あります。
これらはどれも素晴らしい知識であり、技術であるのですが、一つ大切な視点が欠けるととんでもないことになります。
その視点とは『人の役に立っているか?』ということです。
何の訳にも立たない時点で、これらは哲学となり、宗教性を帯びて、仕舞いには「単なる物知り」の専門家と言われる人間がいるだけになります。
PTの「専門性・科学性」については、たぶん自分たちPTが勝手に「良い」と言っているだけの気がします。
様々な論文に目を通し学会発表を聴きますが、多くは自分たちで「良かった」と言っているだけのモノです。
いろんな提案も出ますが、案外、PT以外の方でもできてしまうことが沢山あると思います。
そして、そういった「専門性」と札のついた知識と技術は、週刊少年ジャンプの裏表紙に紹介されている、金の貯まるネックレスだとか、結婚できるようになる壷だとかと同様の価値しかないと思います。
僕は理学療法を学び
経験した中で考えることは
理学療法士というものは、誰にでも触れうる情報を、「専門的」にして理学療法士たちが隠し持ち、それを一般の方から目の届かないところにおいてしまったのではないでしょうか?
もちろん
リハビリテーションの専門家は必要だと思いますが、
その専門家がリハビリテーションという概念を囲ってしまってはいけないと思います。
リハビリテーションというものは、もっと世に出るべきなのだと考えています。
理学療法について言うと
・まず、何の専門かを明確にすること
・それが誰かの役に立つこと
・それを証明すること
それが理学療法士にできるでしょうか?
そう思うと、未来に対して暗澹たる気持ちを抱いてしまうのです。
以上、ダラダラと自分の身をつねるようなこと書いてきました。
「未来があるか?」
と問われると、こう言った答えになるのです。
逆に
「未来はないよね?」
と言われると、全く逆の意見を述べたと思います。
僕の思考の断片だけでも感じていただければ幸いです。