今日は夕方から研修会に参加。
■医療安全研修「人間の特性とヒューマンエラー」
医療安全推進室主催で、看護職員対象なのだけど、理学療法士の僕も入れてもらった。
見事に、看護師さんだらけの中、モエー(*´∀`*)な雰囲気だった(・・・わけない)。
こんな僕も、実は、日本医師会の医療安全推進者養成講座を修了している。
と言っても、前職場のことなので6~7年前のことだろう。
家のどこかに修了証がある筈だ。
そのこともあって、医療安全にはずっと興味を持っている。
医療安全というのは、患者さん・スタッフ・地域の利益のためにあるのだけども、
医療行為のエラーをなくすということだけでなく、その後の医療訴訟や紛争を呼ぼうすることや改善することも含まれる。
そのため、かなり多角的に物事をとらえる能力が必要だ。
医学知識のみならず、法律、コミュニケーションといった知識・技術が求められると思う。
さて、
医療事故やその要因となりうるものを分析したりマネージメントしたりする場合に
■P-mSHELL
(ピーエムシェル)
というのがある
P:Patient:患者
m:management:管理
S:software:システム
H:hardware:物
E:environment:環境
L:liveware:当事者
L:liveware:第三者
※ちなみに、個人解釈が入っているので、正確な情報を知りたい方は「P-mSHELL」を検索くださいまし。
こういった方面からそれぞれ、事故(アクシデント)や要因(インシデント)を見つめないといけない。
しかし、こういった管理を行う上で、やはりクローズアップされるのは、「当事者」だと思う。
なにか事故にでくわした「当事者」は、当事者にしか分からない「気負い」みたいなものが生じる。
そのことは第三者や、管理者はなかなか気付きにくいと思う。
たとえば、当事者自身が、冷静に自分以外の要因について(つまり、当事者のliveware以外のS・H・E・Lについて)考察・分析が行えるだろうか?
「気負い」をしてしまっている当事者は「環境や第三者のことを言っても、『人のせいにしているみたいで・・・』」と思ってしまうのではなかろうか?
「この事故については自分悪かった」という意識が生まれることは、医療安全管理からしたら、みごとな「失敗」だと思う。
医療安全管理が行われる上では、当事者に「自分が悪かった」とそう感じさせては行けないと思う。
■ヒューマンエラーは『原因』ではなく、様々な要因の『結果』として起こる
そのことを現場管理者や当事者に教育しなければならないと思うし、そのことが、当事者に対しての大きな慰めや最新的な支援になると思う。
・・・といっても、なかには、人のせいだけにしたがる輩もいる。
つまり、当事者のliveware以外に目を向けたがる輩。
こんな方には、当事者が、その事故や要因の中で、どのような位置にいたかを教示しなければならないと思う。
そうしつつ、決して追い込んではいけない。
もう一つ
「ヒューマンエラーは原因ではなく、様々な要因の結果として起こる」といくら教育したところで、当事者の精神的負担はかなりのものだと思う。
当事者は、「気負い」をもっているなか、そんな冷静に分析を行えないと思う。
「やってしまった」感はしばらくは消えないだろうし、「このことでスタッフの信用が損なわれたのではなかろうか?」「多くの人に迷惑をかけてしまった」「自分はこの職に向いているんだろうか?」などなど、様々なことを考えてしまうものだと思う。
そういったことに対する、心あたたかいサポートが必要だと思う。