創立記念日!
何の?
日本赤十字社である.
1988年(明治十年).国内で「西南の役(せいなんのえき)」が勃発した.
■官軍 VS 薩摩軍・西郷隆盛
反政府運動である.
結局,反政府の薩摩軍は鎮圧されたのだが,西南戦争(=西南の役)は日本最後の内戦と呼ばれ,大量の死傷者を出した.
『西南戦争,いやなな(1877)みだの薩摩軍』
さて
その悲惨な状況をみて救護団体の必要を感じたのが
■佐野 常民(さの つねたみ)
■大給 恒 (おおぎゅう ゆずる)
の二人!
■博愛社(はくあいしゃ)
という
救護団体の設立を政府に申し出たのだ.
でも,あっけなく断られる.
政府は,彼ら(佐野,大給)二人の「敵味方の差別なく救護する(博愛社規則第4条)」とう考えを,理解できなかったらしいのだ.
で,佐野さんはどうしたかというと,
たいそう偉いお方に趣意書を提出したの.
そのたいそう偉いお方ってのが
■有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)
んで,やっと博愛社の活動が許可されることとなった.
博愛社は設立されたとたんに,敵味方かまわずの救護やコレラの予防・手当にあたるものだからみんなビックリ!
そんな活動が『人道』『博愛』という精神文化の基盤を我が国に植え付けたのだ.
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これと同じような活動をしていたのが
■アンリー・デュナン
たまたま戦地での悲惨な光景を目の当たりにして,敵味方の区別なく(彼は第三者だったのだけれど)救護した.
イタリア統一戦争中の1859年である.
アンリー・デュナンはそのことを「ソルフェリーノの思い出」に綴り出版した.
アンリーデュナンの訴えは,反響を呼び,そして,彼を含めた5人が「五人委員会(:国際負傷軍人救護常置委員会)」を結成した.
戦時救護団体設置の呼びかけを行なったのだ.
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さて・・・
救護組織が出来上がったら,
救護組織を保護するきまり
が必要になる.
だって,救護組織がやられてしまったらタマラナイでしょ...
それが
■ジュネーブ条約
「戦地軍隊における傷者および病者の状態改善にたいする条約」だ.
1864年
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1886年
日本はこのジュネーブ条約に加盟し,翌年に「博愛社」を「日本赤十字社」に正式改名した.
「日本赤十字社」の前身となった「博愛社」の設立が1877年の5月1日であったところから,日本赤十字社は,この日を創立記念日として御祝いしている.