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駄目出しの

理学療法/病院

担当させていただいている患者さん。

理学療法を終えて、お部屋に戻った時のこと。

ご家族さんがおられたので、さきほどのリハでの状況を説明した。

本人さんは頑張って、少しずつ機能を回復しつつある。

運動麻痺からの回復で、これは一気に成績が出せるものではない。
毎日の少しずつの変化や、努力や、注意・配慮を大切にしていかないといけない。

ご家族さんに説明を終えると、そのご家族さんは、まるで本人さんを責めるかのように本人さんに話し始めた。

『まだそんな状態なのか』
『どうせまた姿勢が傾いていたんでしょう』
『何でも自分でできるようにならないといけないよ』

などなど
(^_^;)アセ

患者さんは黙って聞いておられる。
近くで聞いていても、胸が苦しくなるような状態だった。

一通り落ち着いてから、そのご家族さんを病室の外に呼びだして、説明を加えた。

説明というか、
駄目出しだわな。

患者さん本人は、突然の半身麻痺に襲われて、人生が一変している。
それでも、頑張って回復を目指している。
そのような時に、本人を責めるように駄目出ししても、本人が辛いのではないだろうか?

できないことを責めるのではなくて、できるようになったことを共に喜ぶこと、本人が努力したことや工夫したことを聞いて、一緒に考えることの方が大切なのではないだろうか?

もちろん、ご家族さんが、本人を責めようと思って責めているわけではないだろうし、むしろ激励のつもりだろう。
僕なんかよりも本人さんと長い年月を過ごして来られた結果の声かけだと思う。

けども、
いまは、違う接し方を考えてもいいのではないだろうか?
脳卒中の回復のためのリハビリは、スポーツの技術向上のための運動とは意味合いが違う。

とはいえど、僕ら臨床家でさえも、往々にして患者さんの「悪いところ探し」を結果的にしてしまっている部分がある。

検査や測定や評価項目でもそう。
ついつい、悪いところを指摘するためのバッテリになってしまっていることがある。

昔のICIDHからICFへと考え方が変わってきたことに対して、僕はそこに意味を見出している。
悪いところを見つけて人生設計していくよりは、いいものはいいもの、不利なことは不利なこととそのまんま見つめる目や思考が大切だと思う。

ただし
今回、僕がご家族にした「駄目出し」の仕方も反省しなければならない。
駄目出しの駄目出しを自分でしながら、反省。

ん?
駄目出しの駄目出しも駄目なのか

あ、これも
駄目出しの駄目出しの駄目出しになっちゃうな・・・


 
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参考

KAZZ BLOG「relief」(2011年09月09日)
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コメント

  1. Hitomi より:

    Unknown
    一緒に嘆くよりは、回復を喜べることができれば笑顔があっていいと思うのですが、なかなかそのようにご家族に指導までできないですU+1F4A6大切な家族だからこそ「元気になって欲しい、元に戻って欲しい」と強く願い言葉が強くなってしまうものなんですよね…きっと。家族の心情もセラピストは分かち合い寄り添う必要がありますね。

  2. kazz より:

    Re:Hitomi
    コメントありがとうございます。患者さん、ご家族さんにとっては生活が激変してしまって大変なことですよね。
    可能な範囲でサポートして、良いアドバイスができるように心がけたいと思っています。

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