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relief

理学療法/病院

腰痛で悩んでおられる患者さんがおられた。

先週に1回、今回が2回目のセッションだった。

今僕が知っている「腰痛」についてのお話をさせていただいた。

目的は、患者さんの不安を少しでも軽くするため。

だからまずは患者さんの、話を聴かせていただくことからはじめて、そろりそろりと情報を提供していく。
その情報はあくまで一般論として提供して、その患者さんについてどうだという話ではないことを話しする。

前回もそうしてゆっくりとお話を伺い、無理の無いように心がけながら情報提供をさせていただいた。

治療の基本方針は医師とじっくり話し合ってみるように促した。

今日は出会うなり笑顔で「またいいお話を聞かせてください。この前話を聞いてから、動くようにしているんですよ」と。

非常に嬉しい話だ。

痛みを恐れて、痛みの無い時間でも、ベッドにじっと潜っているというのは、得策ではない。
そうやって腰痛が治るのならば、「安静」を進めるべきなのだが、統計的には逆で、動ける範囲で動いた方が良い、となっている。

例えば「痛くても」できることは案外とある。
指の体操、顔の体操、腕の体操・・・
不安でない範囲で進めていけばいい。
無理に動く必要は無いのだから。

そして、恐れや不安は、痛みを長引かせるのみならず、より深刻なものにさせてしまうのだと思う。

自分の悪いところ探しをするのではなくて、良い部分に敏感になるように、なれるように誘導することが必要だと思う。
「痛いから○○できない」ではなくて、「痛くても○○できた」と。

「障害」の分類も約10年前までは「ICIDH」として、主に悪い部分の評価が行われる傾向があった。
機能障害、能力障害、社会的不利・・・
悪いところをしっかりと評価する。

その癖がついたせいか、医療者は患者さんの悪いところに目を向けがちになる。
痛いとか、悪いとか、動けないとか、危ないとか・・・
そういったネガティブな面に目を向けがちになる。

不利なところも有利なところも同様に評価して、どちらにもアプローチしていくことが必要だ。
いや、むしろ、良いところをどんどん発掘して、患者さんを元気づけなければならないのかもしれない。

そういう面で、現代のICFという概念の導入は、ICIDHを補完していると言えると思う。

しかし、実際はどうだろうか?

とある治療講習会でも、「ICFが大事」といいつつも、実際のアプローチは、さんざん悪いところを発掘してばかりの講師もいる。
その方が受講生に分かりやすいのかもしれないが、患者さんを不安に陥れ、そこからまた救うという、なんだかアベコベなアプローチとなってしまう。

「ここが悪い、ここも悪い、あそこも悪い。でも、こういう理由でこうすれば良くなる・・・ほら良くなったでしょう!」

とうのは、なんだか宗教勧誘に似ている気がする。
何十人も受講生が固唾をのんでそのアプローチと説明に食い入る姿ななんとも気味が悪い、と思ったこともある。

おまけに、そのアプローチの得意的効果は、科学的に認められていなかったりする。

科学的に認められていないことは、必ずしも「悪い」ことではない。
科学的に認められていない、それでも、大切なことはあるのだから。
ただし、科学的に認められていないことを、さも科学的に認められているように話すことは「悪い」ことなんだと思う。

ちなみに
科学的とはどんなことか
それは「再現性」であるといえる。

科学的とは「再現性」。
いつ、どこで、誰がやっても、同じ条件下なら同じ結果が出る。
科学とはその精度を追っているもので、患者個々の価値観はまた別の次元の話だ。
臨床の場では、限られた科学をうまく利用する技術が求められる。


腰痛患者さんに話しを戻すと
患者さんを不安に陥れることは、得策とは言えない。

ここが悪い、ここも悪い、あそこも悪い。だからこうすれば良くなる。
という流れの話しはしたくないのである。

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参考

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