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友達は空

理学療法/病院

ブログに挙げるには少々長いが、どうしても紹介したいので挙げておく。

雑誌「看護実践の科学」
Vol.30 No.2 2005-2 p90-93

「友達は空」
犬塚久美子(聖隷クリストファー大学看護学部)

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 晴代さんが突然この世を去って早いもので、もう4年の歳月が流れました。青い空にぽっかりと丸い雲が浮かんでいるのを見ると、決まってあなたのことを思い出します。「空はいつも違った姿を見せてくれるから飽きない、今の私には大切な友達みたいなもの」
 自宅のベッドで一人ぼっち。身体を動かすこともできず、窓から見える空だけが心を癒してくれる友達であったという衝撃的な話に胸が締め付けられる思いがしたのは、ついこの間のような気がします。今日もお別れをした日と変わらない寒い冬の空です。私はいつの間にか自然に空を見上げる癖がつきました。

 病室のドアを開けると、車椅子に座った晴代さんがにっこり微笑んで迎えてくれました。晴代さんは41歳、一年前に神経難病である筋萎縮性側索硬化症を発病してしまいました。今回は食事をすることが難しくなってきたので、流動食を入れるために胃瘻の造設手術をすることが目的で入院していました。歩くことも困難で車椅子でした。言葉もかなり不明瞭で、集中して口元の動きを見ることで、なんとか意思の疎通を図ることが出来るような状態でした。家族はご主人と高校生を頭に3人の男の子、そしてお姑さんがいました。学生の受け持ち患者さんになってくれることを、快く承諾してくれた晴代さんはもの静かで穏やかな人でした。
「自分のことが自分でできず、食事もお風呂もトイレまで人にやってもらうのがつらいです」
「気を遣いますね」
「家に帰ると主人にやってもらわなければならないけど、主人には仕事もあるし、足手まといにはなりたくないのです」
 一家の大黒柱として働くご主人に、介護の負担までかけられないという気持ちが伝わってきました。遊び盛りの3人の息子さんたちは当てにできないし、高齢のお姑さんは気難しい人で病気になったことで晴代さんが責められていたのです。厳しい現実に押しつぶされそうでした。ご主人は退院に向けて看護師さんから流動食を胃に注入するための指導を受けていましたが、晴代さんの介護にはあまり熱心ではないと聞きました。
「自分は仕事もあるし、おまえは自分のこともできなくなったのだから実家に帰ってくれ」
晴代さんに向かってそんなことも言ったようでした。なんてひどい人なのだろう、私はご主人に憤りを感じていました。動けない上に食事も食べられなくなって退院することで不安が一杯でした。晴代さんと話をすると自分の身を自分で処することができない、嘆きの気持ちが延々と語られましたが、何の力にもなれない私は、辛い思いを受け止めることしかできませんでした。
 退院が決まったのですが、休日はヘルパーさんも来ないので昼間はひとりで不安だということを聞きました。
 「土曜日に学生さんと一緒に晴代さんの家にボランティアに行きましょうか」と伝えると、晴代さんの顔がぱっと輝いて喜んでくれました。
「うれしい、本当に来てくれるの」
 でも気難しいお姑さんや介護に協力的でないご主人が賛成してくれるかどうかという心配もありましたが、ご主人は
「あんた達が来てやってくれるのならお願いしたいが、私は仕事があるから手伝えないけどそれでもいいのか」
 と言われました。何とか晴代さんの力になりたいと思っていた私たちはボランティアを受け入れてくれたことが一歩前進と考えてはじめることにしました。

 玄関の戸を開けると、病状が進行した晴代さんには使えなくなった車椅子が置かれています。ベッドに寝たきりとなった晴代さんは学生の訪問をとても喜んでくれました。身体を拭き髪を洗っておしゃべりをして、楽しいひとときを過ごしました。しかし、物の場所を聞いても面倒臭そうに返事をするお姑さん、自宅に居ても顔を見せることもしないご主人、大声ではしゃぎまわっていても母親の側によらない息子さん達、晴代さんは家族の中にいてもひとりぼっちでした。その孤独は身にしみる寂しさだろうと思いました。
 晴代さんはベッドから見える空のことを話してくれました。
「空はいつも同じようで違うのよ、今日は丸い雲がかかっていてふわふわでやわらかいアンパンみたい、焼きたてのアンパンっておいしいよね、何年前に食べたかな」
「アンパン好きですか」
「だい好き、わたし食いしん坊なの」
晴代さんの顔の横にわたしの顔をおいて、晴代さんの目線で空を見ました。ふわふわの雲がひとつ浮かんでいました。
「本当、アンパンみたい」
 たわいもないことで晴代さんと食いしん坊ぶりを自慢し合いました。
「空は真っ青な日もあるし、どんより曇っている時もあるし、夜は星が輝いてきれい。動けないわたしにとって友達、見ているだけで心が落ち着くの」
 いつも違った顔を見せてその日のメッセージを伝えてくれる空は、ベッドから動けない晴代さんの唯一の友達でした。物言わぬ友達はそうして晴代さんの心を慰めてくれました。その日は窓ガラスをピカピカに磨きました。
「うれしい、よく見える」
些細なことを喜んでくれました。口の動きによる読み取りも困難になってきました。文字盤を使うことに積極的でなかった晴代さんと会話による意思の伝達ができたのはこの頃が最後でした。それからは表情で晴代さんの気持ちを推し量ることでしか理解できなくなりました。
 遠慮の強い晴代さんは学生に排泄の世話を頼むことに抵抗があったようです。排泄をしたくても我慢をして、午後の時間に来るヘルパーさんやご主人の帰りを待っていました。排泄を我慢する苦痛は大変なものです。あるときそのことに気づいた学生が「排泄は生理現象ですから我慢しなくていいのです。私達はそのお世話もするために来ているのですから、遠慮しないでください。私は排泄の援助は看護の仕事の中で一番大切なことだと思っています。晴代さんが遠慮しなくてもいいように自然にお世話ができるようになりたいのです。私たちに世話を頼みにくいことがあったら言ってください。気をつけますから」
 学生の熱意が、若い人に排泄の世話までしてもらうのは気が引ける思っていた晴代さんの意識を変えました。その日から排泄の援助を頼んでくれるようになり、学生たちと晴代さんの絆はいっそう強くなりました。
 穏やかな日はあまり長く続きませんでした。病状の進行とともに晴代さんの顔から笑顔が消えました。いつも静かに微笑んでいてモナリザのような笑顔と思っていた私にもショックでした。晴代さんの顔は笑顔の代わりに痛みに耐える顔と泣き顔ばかりになりました。
 清拭のためにほんの少し身体を動かしても痛みが晴代さんを襲うようでした。
「痛い、痛い、やめて」
 という表情でした。あまりにも苦痛の表情が多くて、学生たちは何も援助ができない状態でした、いったいどうすればいいのか。身体を触っても泣くので、学生は何もできずオロオロするばかりでした。痛みの原因がはっきりすれば解決の方法も見つかりそうです。お医者さんは、身体を動かさないことによる拘縮の痛みではないかと教えてくれました。確かに思い当たるふしがありました。リハビリもしていないし、他動運動もまったくしていませんでした。
「晴代さん、身体の痛みの原因を知っているの」
「知らない、どうして」
という表情をしました。
「晴代さんはリハビリもしていないし、手足もまったく動かしていないので、関節も筋肉も固くなって、少し動かすだけでも痛くなるのだと思うの」
晴代さんは真っすぐ私たちを見ていました。
「そういうことだから学生が来た時には手足を動かしてマッサージをしましょう。ゆっくり手足を動かしますから、我慢できなくなったら瞬きで合図を返してください」
「納得できたからお願いします」
という表情でした。言葉を失って自ら疑問を確かめるすべもない晴代さんの苦悩を知りました。本人が疑問に思っていることはないのか、確かめることも大切な援助であることを知りました。
「ご主人にお風呂に入れてもらう時に、少し手足の曲げ伸ばしをしてもうと、痛みが和らぐと思うから私から伝えておくね」
 晴代さんの目が輝いていました。絶望的な状況の中で小さな希望の光が見えたように感じました。ご主人に伝えるとぶっきらぼうに
「わかった、やってみる」
 と返事をしてくれました。そういう表現しかできない人のようでした。それでも三日に一回は、自分で抱きかかえて晴代さんを入浴させていると聞いて、自分なりのやり方で介護をしているのだと思いました。
 相変わらず手足の痛みは続いていましたが、晴代さんも積極的に手足を動かして、という意思表示をしてリハビリに励んでいましたが、これからは自分の身体がどのようになるだろうという不安と隣り合わせの日々でした。

 晴代さんとのお別れのときは、何も前触れもなく突然に訪れました。その日は晴代さんとクリスマスを祝う予定でした。学生たちはプレゼントに靴下とメッセージの書き寄せをもっていつもの時間に訪ねました。
 挨拶をして部屋に入ると、晴代さんは目を閉じて眠っているようでした。いつも起きて迎えてくれるのに、今日はどうしたのかなと思いながら目が覚めるまでに身体を拭くお湯を準備していました。ケアが終わったらささやかなクリスマスのお祝いをするという予定ができていました。眠っているようだけど起こそうと思って声を掛けて異変に気づきました。声を掛けても身体を揺すっても、晴代さんは反応しません。いつもとようすが違います。大変なことが起きているようでした。学生たちは恐怖と驚きで高鳴る心臓の鼓動を抑えながら、自分に「落ち着いて」と言い聞かせ冷静に行動しました。脈も触れず呼吸もしていません。家にいた息子さんとお姑さんに急変を伝え、救急車の手配をして病院に送りました。
 主のいなくなった部屋に晴代さんのために用意したクリスマスプレゼントがぽつんと残されていました。靴下は晴代さんの足を温めることもなく、心を込めて書いたメッセージは晴代さんの心を温めることができませんでした。傷心の学生達は家族からの連絡を待ちながら眠れぬ夜を過ごし、二日後の新聞で晴代さんが亡くなったことを知りました。そして悲しいクリスマスを迎えました。
 強い信頼関係を築いてきた学生たちにお別れの言葉を伝えるゆとりもなかった晴代さんに代わって、親しくお付き合いをさせていただいた私が学生たちにメッセージを送りました。

 学生さんへ
 もう30分もすればいつもの土曜日の朝のように「おはようございます。お変わりなかったですか」という元気な聞き慣れた声がして、私の側に来てくれるあなた達に「さよなら」も言えずに突然お別れすることになりました。
「来週はクリスマスのお祝いをしますので楽しみに待っていてください」と言われていたのに待てなくてごめんなさい。あなた達が私のところに来てくれるようになって早いもので一年半が過ぎました。私はベッドに寝たきりで指一本も動かせなくなったのですが、あなた達が身体を拭いて手足を動かして、髪の毛をとかしながら、いろいろなお話をしてくれるのを楽しみに聞いていました。外に出ることができない私に、季節の便りや外の風を運んでくれました。あなた達が来てくれるときは孤独から解放されます。看護師さんになったら私に接してくれたように、どの患者さんにも心をこめて誠意を持って向き合ってくれることを願っています。
長い間本当にありがとう。

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参考

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看護実践の科学2005年2月号

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