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脳卒中リハビリ

理学療法/病院

2度あることは三度あるってことで
今日も論文ネタ。

Stroke(ストローク)」という雑誌がある。

脳卒中のことを英語で「Stroke(ストローク)」というのだけど、そのまま「脳卒中」のメリケン雑誌。

医師向けの雑誌なので、リハビリのネタ(論文)が載る率は少ない。

けども、1月号には2題ほどのっていた

Strength Training Improves Upper-Limb Function in Individuals With Stroke:A Meta-Analysis

Locomotor Training Improves Daily Stepping Activity and Gait Efficiency in Individuals Poststroke Who Have Reached a "Plateau" in Recovery

脳卒中後遺症の患者さんに行う運動療法について「筋トレ」と「トレッドミル」が有効だという内容の論文。

一つ目のが「筋トレ」の効能
脳卒中後遺症者に対する筋力強化は、上肢の筋力強化と機能化に寄与しうるというもの。
しかも
・トーン(昔で言うところの痙性)を増悪させることなく
・痛みを作ることなく

従来の
「筋トレ」しても、こわばるだけだろ!
とか
「筋トレ」しても、実生活には役にはたたないだろ!

という意見に対する反論だと思う。

もう一つは「トレッドミル」の効能。

ウォーキングマシーンっての?
あの通販で売られているダイエット(&メタボ解消)用具。
室内で歩く練習が出来る道具、ルームランナー?
・・・のシッカリしたやつ。

それで、強烈に歩く練習をすることで、患者さんの日常の歩行能力(効率性)を改善し得るというものだ。
特に脳卒中の後遺症を患って「プラトー」・・・つまり、もう回復も頭打ちと判断された患者さんに対するアプローチ。

・・・という2題の論文だ。

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んで
僕としては複雑な心境になる。

リハビリの効果を示した論文
というところでは、光明だ。

であると同時に

ふたつとも量的なアプローチで、今の理学療法士という専門家が行う必要は・・・必ずしもないような内容だからだ。
ある程度の指導を受ければ出来る内容だろう。

理学療法士得意の動作分析も特に必要はないし、ボバース言うところのトーヌスの変化を感じる必要もないし、認知運動療法いうところの「一人称的」なものも必要ないし・・・

とにかく、そういった人対人的なアプローチではなくて、dose(ドーズ)的な、薬の処方的な運動処方だ。

研究論文なので、シンプルにされているんだろうけども、
どうにも、僕は疑問を感じてしまう。

でも!

結果、何を使用が患者さんに有益であること。
と同時に、害が少ないこと。

であれば「良い」と思う。

セラピストの趣味で患者さんを困らせてはならない。

これからどんどん、「量的なリハビリ」は認められていく退かも知れない。

結果、生活の質が向上すれば良いのだから。

そこにおいて、理学療法士や作業療法士が、「いや、量的な運動よりも、もっと質的に介入たほうが、患者さんの生活をよりよいものにし得るんだ!」
と言えるか否か・・・

こと、「トレッドミル」の方の論文にはこう書かれている。

『機能回復がある程度滞った患者さんについてだけども、退院後は理学療法士によるたいしたことない運動アプローチを行うよりも、モーレツにトレッドミルをした方が歩き具合は良くなんぜ、旦那さん』
(原文:『We suggest that reduced task-specific walking practice during clinical PT contributes to limited gains in ambulatory function in those with a perceived plateau poststroke, and suggest that further gains can be realized if intensive stepping, or locomotor training (LT) is provided after discharge.』)

Stroke(ストローク)」という雑誌はメリケンのAHAが出している学術誌で、世界の多くの医師の目に入るものだ。

理学療法士、作業療法士に問いたい!

『これでいいのか?』

----------------
私はこれからの『理学療法士』に大して希望をつなぐことができない。
このままいったら“理学療法士”はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
『理学療法士』はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、
低所得の、抜け目がない、ある専門職らしきものが医療・福祉・介護の一角に残るであろう。
それでもいいと思っている人達と、わたしは口をきく気にもなれなくなっているのである。

平成22年(2010年)2月5日
KAZZ
----------------
↑三島由紀夫のパクリね。

で、だ

大切なのは僕がこれからどうするかってことなんだけどね。
・゜゜<(;´з`)> ~♪

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参考

Strength Training Improves Upper-Limb Function in Individuals With Stroke:A Meta-Analysis
Locomotor Training Improves Daily Stepping Activity and Gait Efficiency in Individuals Poststroke Who Have Reached a "Plateau" in Recovery
Stroke
AHA
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コメント

  1. MasA より:

    Unknown
    悔しい…ですねxx

    結果をださねば。

    量的側面・質的側面の双方を観察できる評価基準の見直しが必要ですよね。

    誰かが作ってくれるのを待つのではなく、臨床家が自ら日々の介入の中で見出だしていく必要を感じます。

    んんん 悔しい…xx

  2. 510 より:

    ・゜゜<(;´o`)>アイタタタタタ・・・
    み、耳が痛い・・・。

    >理学療法士、作業療法士に問いたい!
    『これでいいのか?』

    『良くありません!!』

    しかし、「理学療法士でなくてもいいかもしれない」。この問いに対して、理学療法士は強く反論できるほど、結果を出せていないのが今の現状だと思います。残念ながら。
    (まぁ、人のことを言えるようなタチじゃありませんが)

    とはいえ・・・

    >結果、何を使用が患者さんに有益であること。
    と同時に、害が少ないこと。
    であれば「良い」と思う。

    同感です。結果、「良くなった」ということは間違いなく「良いこと」なんでしょう。
    (「良くなった」とか「生活の質」とかと言ったコトバは慎重に捉えねばならないでしょうが・・・)」

    英文翻訳などほとんどしたことがないので、僕自身がきちんとこの論文を読めているのか、甚だ疑問ですが、この論文をちょこっと見た限り、「活動の量を上げたら、良くなった」という印象です。

    つまりは「普段の生活で活動の量が落ちていた」ということではないのかな、と思います。

    少ししか歩いていない人がモーレツなトレッドミルで歩き具合が良くなった。この方(群?)はきっと普段の生活で歩いていなくって、歩く練習をしたら歩けるようになった・・・。

    なぜ、普段の生活で歩かないのか、あるいは活動の量が落ちているか、ということに思いを巡らせなければいけないのかもしれませんね。
    とはいえ、「歩けーーー!!」て、怒鳴り散らしてもしょうがないですが。

    歩かない(歩けない)原因を考えなければいけないかもしれませんね。

    て、「機能回復」という論点から話が逸れてきましたね・・・Σ(゜Д゜;)ギクッ
    話がまとまらなくってきたので、今度お会いした時にご意見を聞かせて下さい(苦笑)

    なんだかこのまま素通りだけするのは良くない気がしたもので・・・。

    『良くありません!!』
    こう言ってみたものの、なんだか虚しく響きますね・・・(苦笑)

    んんん 僕も悔しい…xx

  3. kazz より:

    お二人とも
    >MasAさん
    >510さん

    まとめておこしいただきありがとう(笑)!
    冗長な文章にいつもお付き合いいただき、本当に嬉しいよ。

    この場を借りて、1日400、時には500人以上の訪問者さまに感謝!

    僕は理学療法士が大好きなぶん、理学療法士不要論も持っているんだよ。

    「別にこれって、理学療法士でなくてもいいのではないか?」

    という疑問を持ちつつ臨床に臨んでいる。
    答えはもちろん510さんと同じく「良くない」ということにしたいのだけど。
    そうすることで、「理学療法士ならでは」は何か?
    ということに思いを廻らす。
    逆に、本人さんでも出来ること、介護員さんでもできること、看護師さんでも出来ることはそちらに任せるようにして、「理学療法士ならでは」もっと言えば「僕という理学療法士ならでは」を探りたいと思っている。

    漫然と行う理学療法であれば、効果もいまいちぱっとしないし、理学療法不要論に行き着く。

    ただ歩くだけなら、近所のおばちゃんにでも出来る(善くも悪くもね)。
    それで効果が出るならば、近所のおばちゃんと歩いていただくようにセッティングすれば良いだけのこと。

    実はよいヒントを見つけたのよ。

    DASI(Duke Activity Status Index)ってのが20年も前に出されているんだけど、いまそれについて調べてて引きこもり中。
    おそらく、ブログ記事に書くと思う。

    いまのところ、のめり込んで最終列車に間に合わなくならないか不安(笑)。

    では!

    kazz:病院図書館なう(笑)。

  4. 女医M より:

    まぁまぁ、お3人さん
    私も通り過ぎることが出来なかった(笑)

    この件については話したいことが一杯!
    でも取り合えずは、それぞれが個別のスタンスを持ったPTであることが、何かうれしい(そうだよね?)。共通の思いもあるのにね。

    また、一緒に話しましょう。たまには仲間に入れてください。

    でも実際に会うと本題忘れちまうのが…いつも問題。

  5. kazz より:

    re:まぁまぁ、お3人さん
    >女医Mさん

    なんだか

    集結!

    って感じになりましたね。

    是非、山陰へお帰りの際には集まりましょう!

    か、皆で上京すっぺか?

  6. Unknown より:

    Unknown
    脳卒中のリハビリは視点の持ちようで大きく考察が変わりますね。ここもおもしろそうでしたので、紹介程度に。

    現役の脳外科医が、リハビリテーションを運動学習の立場から考察しているのが魅力ですね。

    http://kashibareha.web.fc2.com/

    業績の症例も興味深いですね。

  7. kazz より:

    >Unknownさん
    情報ありがとうございます。
    参考にさせていただきます!

  8. より:

    初めまして
    私も理学療法士です。(しかも同県の。)

    非常に本質をついていて、おっしゃる通りだと思います。

    養成校時代に、徐々にPTの存在意義や価値に疑問を持ち始め‥絶望したりもしましたが‥

    理学療法の可能性を模索していくのも面白いかな‥?

    などと思いながら持ち直してみたり。

    結局自分が思うことは、
    ①その人がPTと関わることで何が変わるのか。(それやって意味あんの?)
    ②その変化はPTだからこそのものなのか。(別に誰がやってもいいんじゃないの?)

    ということです。

    今は「飯食ってくための一手段」として捉えています。

    “僕は理学療法士が大好きなぶん、理学療法士不要論も持っているんだよ。
    「別にこれって、理学療法士でなくてもいいのではないか?」
    という疑問を持ちつつ臨床に臨んでいる。”

    非常に共感致しました。応援しております。

  9. kazz より:

    >あさん
    コメントありがとうございます。
    同県のPTさんなんですね。

    共感&応援ありがとうございます。

    PTの存在意義や価値、ここに疑問を感じずに給料をもらって(しかも、「少ない!」なんて文句言ったりしている)人は多いかもしれません。

    そのうち、飯っていく手段としても成り立たなくなるかもしれません。
    そうでないことを願いますが。

    これからも、いろいろと書いていくと思うので、また見に来てください!

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