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戦友

歌の途中で、涙を浮かべたおばあさん。

「戦友」って知ってる?

軍歌だ。

おばあさんは思い出すように一節一節歌い出された・・・

病室に帰ると、おばあさんの同い年の方が他にもおられる。

ある、おばあさんが、歌うおばあさんに声かけた。

「懐かしいね。でも歌っちゃダメよ。」

「今はもういいのよ、フフ」

おばあさんは、「昔だったら憲兵さんが来るけどね」とそっと耳打ちしてくれた。

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大東亜戦争(太平洋戦争)に日本が負けたのが昭和20年(1945年)。

ここから日本が独立復興したと思われている人が多いかもしれないけども、実際には、戦勝国アメリカが7年間にわたって日本を統治(そして洗脳作戦)を行っていた。

禁止された歌、燃やされた本、黒く塗りつぶされた教科書・・・
検閲を隅々まで行き渡らせた新聞やラジオ・・・

アメリカは自分たちの不利にならないような情報を毎日流した。
そして、日本の軍人たちがいかに悪者で、侵略性をもっていて、残酷で、馬鹿げていたかを広めてるのに必死だった。

アメリカ占領下の日本では軍歌も本も禁止されていた。

いまでも、軍歌が禁止されていると思っているおばあさんがいるということは、相当厳しかったのかも知れない。

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軍歌「戦友」は14番まである曲だ。

3番あたりで、おばあさんの口が鈍ってくる。

「あれ、どうだったかな?フンフンフン」

すると、同室のおばあさんが一節を加える

「そうだった!そうだった!」

みなさんで歌い合いっこをして、次々と歌が続いていくのが心地よかった。

歴史が生きている感じがした。

溢れ出る思い出と感情に、皆さんが声を震わせていた。

僕はスタッフ室に戻り、パソコンで歌詞と動画がないだろうかと探した。

案外に時間はかからなかった。

【軍歌】 戦友- full version 

他にも、奇麗なバージョンや、森繁久彌バージョンもある。

歌詞は

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『戦 友』
作詞:真下飛泉
作曲:三善和気  

1)ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
  赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下
2)思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
  敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか
3)ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
  にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて
4)軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか
  しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中
5)おりから起こる吶喊に 友はようよう顔上げて
  御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙
6)あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
  それじゃ行くよと別れたが 永の別れとなったのか
7)戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では
  どうか生きていてくれと 物なと言えと願うたに
8)虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに
  時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや
9)思えば去年船出して 御国が見えずなった時
  玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて
10)それより後は一本の 煙草も二人分けてのみ
  着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し
11)肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ
  死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲
12)思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
  赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは
13)隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
  友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙
14)筆の運びは拙いが 行燈の陰で親たちの
  読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく
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おばあさん方には、コチラを印刷して配ったよ。

それぞれに、お兄さんのこと、お父さんのこといろいろ話してくれた。

コメント

  1. U より:

    Unknown
    懐かしい!
    俺も昔患者さんと一緒に歌ったよ!
    「戦友」っていうんだね。知らなかった。

  2. kazz より:

    >U
    単純にこう言ったことを授業で行う必要もあるかもね。

    おじいさん、おばあさん方の歴史や文化的背景を知るということ。

    軍歌もだけど、教育勅語や歴代天皇を記憶とか、結構みなさん喜ばれるんだよね。

    あと、戦時・・・とかいうと、暗く重いイメージしか植え付けられなかったけども、決してそれだけではないということは、おじいさんおばあさんから学んだし・・・

    てことで、授業に入れてみて!

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