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コーチング

今日は午後から早退という形をとって、研修に出かけた。

■さんいんバイタイルサインセミナー
"バイタルサインからケアがみえる"
会場:くにびきメッセ国際会議場

プランナーの先生と、各後援を担当される5名の先生方は、第一線で活躍される教授・準教授だとのこと。

講演内容は
■麻酔中のねむりといたみ
■循環のアセスメントとケア
■痛みとは何か?~痛みの基礎と臨床~
■患者満足のチーム医療

参加者は300名以上もいたみたいだ。
島根県医師会、島根県看護協会、鳥取県看護協会、島根県臨床工学技士会、鳥取県臨床工学技士会が後援だから、医師・看護師・臨床工学技士さんが多かったのだろうか。

どの講演も分かりやすくて、まとまってきけてよかった。

ウチの心臓血管外科のリハを担当している理学療法士は4名参加したけども、僕を含めみんな勉強になったと思う。

『チーム医療とコーチング』については、バイタイルサインとは離れているようだけども、麻酔科の教授が話をされているところがおもしろいところだ。

ただ、僕には、このコーチーングというのは、たいへん勉強・反省になる反面、なんだか「バカらしさ」も感じてしまう。
(おっと・・・批判されそうだ・・・。)

「人を育てるための一つの方法」としてのコーチング

とても、納得できるし素晴らしい。
会場にいた参加者たちも大きくうなづくような方法が次々示される。

ただ
人を育てるために、ここまで戦略的に行わなければならないのか?

人よ!勝手に自由に育てよ!
(#゜Д゜)ゴルァ!!

なんて、不遜なことも考えてしまうのだ。

「勝手に育つ」と言っても、人間は社会の中の生きものなので、様々な教育や示唆、環境や場面など、自分と他から与えられる影響により人は育つと思う。

ただ、こういった方法論にコントロールされてしまってるってことでいいのかな?

「気付き」や「モチベーション」・・・それが戦略的に行われているコーチング。

『人間をタイプ別に分けて、ここのグループに入る人にはこういう言葉掛けが有効だ。』

ウーン(-”-;)...
ダメジャナイケド...

「育てる」ための手法として行われているコーチング。

僕だって
恩師や友人からのコトバが胸に響いたことは多々ある。

ただ、そのコトバがこういった戦略に基づいて行われたものであったと仮定すると、非常に興ざめする。
それどころか、人間不信に陥りそうだ(←もともと人間不信かな?)

「計算づくだったのかい?」
と、問いたくなるよ。

『あいつにはこう言った方が、効果的だな』なんてことはあると思う。
教育論や指導法はそういった、経験の積み重ねだと思う。

それだけども
経験的に行われてきた「良いこと」が体系化されて、その体系化された「良いこと」に基づいて全く別の個人に当てはめること・・・それが吉と出るかはまた別な気もする。
(ん、日本語おかしいか・・・)

いいじゃないか、非効率でも。
行き着くところは「個人」だ。

「育ち具合」が悪いのを「育て方」のせいにするもの不十分だと思うし、「育て方が良かった」てのは、「育てた」と「育った」の結果だと思う。

ま、僕がリーダーになるまでまだ時間があるし、リーダーにならないかもしれないし・・・ゆっくりと考えることにしよう。
(ちなみに「班長」という4人の班員を率いる小リーダーでもあるから、悩ましい)

コーチングについては、非常にありがたいことをきいたと思った反面、違和感も覚えてしまった。

まだ、僕の中でまとまっていない。
この先の課題にしよう。

コーチングとか、指導とか・・・
一歩間違えると「傲慢」に他ならないと思う。

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参考

wikipedia「コーチング」

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