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緩やかな

理学療法/病院

病院の建て替えを進めている。

病院は覚悟を決めて、移転ではなくて、現地立て替えを選択した。

予定通りかどうか知らないけど、建設も順調で
来年になったら新しい建物に引っ越しをすることになる。

先日、リハビリ課内で引っ越しに関する話し合い/打ち合わせがあった。

主には新しいリハビリ室の手摺の設置をどうするかとか、手洗いのシンクの数が足りるかとか・・・そういったことだ。

で、物品に関しては、廃棄するものと、新品にかえるものがある。

ウチの病院はどこかの市立病院とは違ってお金がないので、ロッカーやらテーブルやら椅子やらは捨てることはせずに、全て引き継いで持っていくことになる。

使える物はとことんまで使う。

車椅子もおんぼろの物を大事に持っていくことになっている。

で、
いま、理学療法室で骨董品のような重要文化財のような存在になっている

■肋木(ろくぼく)

というものがある。

その形状からか、部屋の隅っこにあり、物置的な存在にもなってしまっている。

昭和56年(西暦1981年)から設置されている代物だ。

これは木製なのだけど、現代では、プラスチック金属製の素敵な物もある。

そして、肋木は必ず無ければならない物ではない。
理学療法場面においては、他のものでも代用がきくと思うし、使用頻度も少ないのかと思う。

さて
引っ越しに際しては、木製の肋木の方は廃棄になりそう。
使わないし、木製で古いし・・・

ただ、僕は・・・

廃棄反対なのよ。

あの肋木をみると、木がすり減っていて、今まで幾人もの人たちが使ってきた痕跡がある。

『28年間、このリハビリ室を見守り、多くの人の支えになってきたんだなぁ・・・』

なんてシミジミ思ってしまう。

たしかに、最近では使用頻度は少ないし、必須な道具でもないし、もっと新しいものもあるし・・・

そういった必要度からいえば低いものなんだけども、「精神性」というのか、なんとも言い表しようの無い感情がこみ上げてくる。

あの肋木には神が宿っているのではないか?

会議では
『新たなものを購入し、理学療法室にある古いのは廃棄』

という声もあった。

普通ならば、そうなのだろう・・・

だが、あえて僕は言いたい。

『木製のすり減った肋木を新築のリハビリ室に!』

けども
これにはまったく説得材料がない。

『こいつも連れて行ってやろうぜ』

って、そんな気分なだけなんだ・・・

効率化のみを考え計画を進めると、そこにある精神性までもがムダなものとして廃棄されがちになる。

実際に肋木が移動されるかどうかは別として、いままで支えてきたものやシステムに対する敬意を忘れ去ってはならないと思う。

といいつつ
廃棄にされてしまうんだろうか・・・

『組織も人も、特殊化の果てにあるのは、緩やかな死・・・』
by草薙素子

そうならないことを願いたい。

コメント

  1. 北野すみよ より:

    反対
    多分私はあなたの病院の患者です!リハビリは開胸手術後の起き上がりやら歩行などでお世話になりました。

    木製の肋木ですかぁねえ(名称違ってたらスミマセン)、体育館にもありますよね。

    神が宿ってるような気が私もします。

  2. kazz より:

    神宿っています!
    >北野すみよさん

    こんにちは。
    貴重な御意見有り難うございます!
    木製の肋木(ろくぼく)であっています!
    たしかに、体育館にもあるかもしれません。
    (そういえば最近、体育館なるものに行っていませんので、確認できませんが・・・)

    お体の具合は如何でしょうか?

    ぜひ、また患者さんの立場・地域の立場でご意見を言っていただき、病院を盛り上げていただければと思います。

    よろしくお願い致します!

    新病院建設に向け、職員も頑張ります!
    また、ブログにも遊びにきてくださいませ。

    病院のホームページもちょくちょくと更新が進んでいます!

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